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TOP > Tシャツ > 浅井長政Tシャツ-second
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浅井長政Tシャツ-second SA-0047
4,100円(内税) 定価:3,990円(内税)  

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   琵琶湖にのけぞる大猿 浅井長政

浅井長政は天文14年(1545年)に誕生した戦国武将。幼名は猿夜叉。初名は新九郎。
長政が歴史の表舞台に出てくるのは永禄2年(1559年)で元服し新九郎と名を改め、
賢政(たかまさ)と名乗っています。信長の妹であるお市の方との結婚により、長政が信長と
同盟を結んだのは有名な話で、足利義昭を擁して上洛を目指した信長は、京へのルートを確
保するため浅井氏との同盟を望んだと言われています。

長政が信長の同盟者として実際に動きだすのは永禄11年。足利義昭を擁して信長と共に従軍。
対六角氏前線である佐和山城では、長政自らが信長と義昭を迎えたことがわかっており、その後
六角氏攻めに先陣し軍功を上げています。

お市の方との間には茶々・初が誕生し、特に末娘である江が誕生したのは小谷城が
織田軍に包囲されてからであり、織田家との対立がはっきりしてから子どもが誕生していること
から夫婦仲は相当良かったと思われます。


信長に対する長政の離反は元亀元年、信長の朝倉氏への進軍がきっかけで起こります。
信長は若狭の武蔵氏を討つために進軍したとされていますが、その後武蔵氏を操って
いたのが朝倉氏であるとして、朝倉氏討伐に向かいます。信長の進軍は順調で勢い
を増したが、長政の離反によって立場が逆転。急いで京へ撤退します。

その後も長政と信長の対立は長く続きついに信長は浅井氏の息の根を止めようと動き出します。
浅井・朝倉氏を滅ぼすまで、元亀元年から信長は5度も北近江に出陣。8月28日長政
の父久政が秀吉に攻められ自刃。後がないと判断した長政はその夜、お市の方と
三姉妹を信長の元に送り届けます。このとき、お市の方は長政と共に自刃することを望んだとも、

信長に長政の助命を訴えたとも言われています。実際、信長は長政に降伏を勧めていたそうです。
再三の勧降に長政は揺れたといわれているが、結果自刃。菩提は長女・茶々によって建立され、
三女・江によって再建された養源院(京都)に妻であるお市の方と共に弔われています。
  デザインコンセプト

サムライズムアートで浅井長政をデザインする
のは2度目で、前回は長浜市の神照寺に保
管されている長政蔵の滋賀県指定文化財
『見返り不動明王像』を中心にデザインしたの
ですが、今回は長政個人のイメージというより
は彼が行った功績をデザインに落とし込んでみ
ました。

幼名の猿夜叉から、琵琶湖にのけぞる大猿を
彼の戦歴とともに配置。支城の位置を星印で
再現し、近江での長政の勢力の大きさがわか
ります。

背中には花押を配して、立体的に長政を感じ
ていただけるデザインに仕上がっています。

監修:116




  詳しくはSAMRAISMARTホームページでご覧いただけます。




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